環境学習トップ > 田んぼ > 資料K(高学年) 貞山運河の歴史
貞山運河の歴史
  「貞山運河」は、初代藩主伊達政宗が、岩出山から仙台に城を移す計画の中で築城や城下町建設に必要な物資の調達を目的として壮大な運河構想を立て1597年に着手した仙台湾に沿う浜堤背後の湿地に開かれた運河である。狭い意味で貞山運河と呼ばれるのは、本来塩竃市牛生から岩沼市納屋にかけての全長約28kmであり塩竃、七ヶ浜、多賀城、仙台、名取、岩沼の五市一町(広い意味での貞山運河は六市三町)の地域におよぶものである。さらに北の船運との関連性の強い北上川河口から松島湾までの北上、東名の両運河を含めると総延長約50kmにもおよび、現在、日本一長い運河と言われている。藩政時代、北上川、阿武隈川は当時の水運交通のかなめであり、これらに連なる貞山運河は領内、仙台城下、江戸の間の交通上重要な位置を占めていた。
仙台都市総合研究機構HPより(http://www.surf-net.gr.jp/list/report/9704060104.html
研究報告『親水空間の有効活用に関する調査研究』
「親水空間の有効活用に関する調査研究」要約
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