公益財団法人 みやぎ・環境とくらし・ネットワーク

私たちは、緑と水と食をとおして暮らしを考え、地球と地球環境の保全に寄与するために、多くの市民、知識人、協同組合、企業、団体で作られた環境NGOです。

宮城県仙台市の公益財団法人みやぎ環境とくらしネットワーク(MELON)の公式ホームページ。部会活動や環境に関するイベントの情報発信、ボランティア募集等を行っております。

「水の神さま」を探せ【旧サイトの内容です】

中野堰水神碑

震災後の状況(2011年7月):
土台に亀裂が入り、前に大きく傾いている状況。訪れる際はご注意ください。

所在地

多賀城市新田字上河原(住所は多賀城市ですが、仙台市と多賀城市の境)
JR東北線岩切駅下車徒歩10分位。また、仙石線多賀城駅前より多賀城市のコミュニテイバス「万葉号」に乗車して、新田浄水場前下車徒歩1分。

水系

七北田川

周囲のようす

 ここは、多賀城市水道局の浄水場があったところで現在は廃止しています。中野堰は蒲生堰とともに七北田川最後の堰で、潮留堰でもあります。つまり、津波がここまで到達すると予想されるところです。ここから取水した用水は七北田川左岸沿いに流下して、福室、高砂、中野方面の田んぼを灌がいしています。現在は多賀城市高橋と山王の間には少し田んぼがありますが、仙台市部分は開発のためにほとんどありません。

言い伝え

 この水神碑は明治8年8月20日建立で願主は中野村、高橋村、福室村の代表と記されています。記載された3村は現在、中野村と福室村が宮城野区、高橋村は多賀城市と分かれていますが明治初期のころは同じ宮城郡内の独立した村でした。

 ひでりの時にはこの3村はもちろん、蒲生、高砂村の人々も泉ヶ岳まで傘と白装束の姿で雨乞いに行きました。また、泉区上谷刈の三共堤の築堤工事には1万人からの村人を送って工事に当たったそうです。夏の水田に水が必要なときは三共堤より七北田川本流に流してもらい、下流の薄が沢堰や中野堰で受けて灌がいしたそうです。ひでりの時の水騒動の話もたくさん伝わっています。

見どころ

 流域の人々にとって七北田川は命綱だったことを感じさせてくれる碑です。しかし、宅地化により田んぼがなくなり2008年には高砂地区からの配水要請は三共堤に対して一度もなかったそうです。魚遡上(そじょう)のモデル河床が作られ、秋には鮭の遡上が見られます。また、近くには七北田川の旧名を名前につけた冠川神社(かむりがわじんじゃ)があります。

  中野堰水神碑

中野堰水神碑

堰の落差は2m程

堰の落差は2m程

魚道モデル事業の看板

魚道モデル事業の看板