公益財団法人 みやぎ・環境とくらし・ネットワーク

私たちは、緑と水と食をとおして暮らしを考え、地球と地球環境の保全に寄与するために、多くの市民、知識人、協同組合、企業、団体で作られた環境NGOです。

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「水の神さま」を探せ【旧サイトの内容です】

所在地

仙台市若林区霞目2丁目15番地
 仙台駅前バス発車場6番より市営バス霞目(遠見塚経由)行きに乗車し、飛行場前で下車。そのまま、右手に航空自衛隊霞目飛行場を見て道なりにあるいていくと、左手に仙台出身の江戸時代の名横綱谷風梶之助の墓が見えてくる。そこを過ぎて道なりに左折して直進すると、右側にコンビニエンス、左側に当神社が見えてくる。


境内と堂宇の様子

 境内の敷地は横幅10m×長さ20mもあろうか、そんなに大きな神社ではない。
堂宇、拝殿のある神社で敷地内に町内の集会所(霞の目公会堂)が併設されており、七郷堀の分流が流されている。
 周囲は住宅地であるが、昭和40年代の前半までは農家が点在した農村地帯で、今でも4月~9月までの農作業の時期には農業用水として水が流されている。
この堀、鞍配(あんばい)堀より取水し、神社正面の道路の両側の水田4haを灌水している。

 2009年1月                                     2014年5月
 境内内の水門写真                                境内内の水路

「浪分大明神」から「浪分神社」へ

 旧来「浪分大明神」と呼ばれていたが、明治38年に「浪分神社」に昇格。
この神社は「浪分大明神」と呼ばれ、その昔仙台湾を襲った津波が襲来し引いて行ったという言い伝えを残す神社である。
 3年前の3.11東北地方太平洋沖地震とそれに伴って東日本沿岸を襲った津波以来その存在が注目され、見学者が急に増えているとのこと。
そうした方々と地域住民に神社の由来を知っていただくために地震後、境内に由緒書きの立札が設置されました(荒神霞目西町内会長談)。

  震災後設置された由来立て札                         移動前の場所にあった石の祠

言い伝え

(掲示版抜粋)


 浪分神社の由来

  鎮座
 旧番地表示 仙台市霞目字屋敷十四番地 現在地表示
 仙台市若林区霞目二丁目十五番三十七号
 もと、稲荷神社といい八瀬川稲荷堂(共同墓地)あたりに在った。ここは昔はもっと広く、高さ二メートルほどの小丘で樹木も生い繁っていたということである。
ここに隠居、又右衛門の肝いりで村民相集って小祠を創建した。時に元禄十六年(一七〇三年)八月十六日であった。
 古老の談では、その後あるとき大津波あり、幾波となく押し寄せ多くの溺死者を出したがやがて白馬に跨った海神が現われてこの大波を南北に二分して鎮めたと伝えられている。
 これ以来稲荷神社に対する津波鎮撫の霊力信仰が高まり、その名も「浪分大明神」と呼ばれるようになった。
 しかしこれは単なる伝説だけでない、この地方は古来幾度となく津波・洪水に襲われているうちに今の地形地層が出来て伝説も生まれたのである。
 この地方に大きな影響を及ぼした記録では、貞観十一年(八六九年)五月二十六日の三陸地方大地震大津波であり、慶長十六年(一六一一年)の慶長三陸大津波では、仙台領内で一、七〇〇人余の死者を出した。
 また天保六年(一八三五年)六月二十五日発生の東北地方太平洋東部の大地震大津波でも仙台領内で数百の民家が流失し溺死者多数と伝えられているが、この時、白馬伝承が成立したと言われている。
 この天保六年六月の大津波は小祠奉献以来この地を襲った最大のもので、この年にはこれに続いて閏七月に二回も大洪水あり、天保十年まで全国的に荒天が続き冷害となり天保の大飢饉となる。この惨事を救うべく当時の神主津田民部は、文化八年(一八一一年)より村人により祀られてきた庚神・疱神・山神信仰の由緒深い、五百メートル程西方の現在地を卜占し小祠を奉献、いぐねを伐ってお堂を建て、翌天保七年(一八三六年)二月十二日、新たに祭神、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)のご神体を奉納、石造り神明大鳥居を配し、除災を祈願された。爾来津波の災害も減少した。
 (中略)
            平成二十三年年八月
                            若林区霞目町内会


※鸕鷀草葺不合尊とは山幸彦と海神の娘、豊玉姫の子どもであり、産屋の屋根を葺き終らないうちにお生まれになった神様である。突然襲ってきた「津波」を防ぐ神様という意味も合わせて祀ったのではないかと考えられる。

言い伝えは本当だった

 今回の津波は「浪分神社」までは到達しなかったが2㎞海側にある仙台東部道路まで達し、一部は道路下のくぐり穴を抜けてきたそうである。ごみが付近の田んぼに流れ着いているのをみて、言い伝えが本当であったと思ったそうです。
 震災の一年前に防災講座があり東北大学の今村先生より「この地域は昔、津波が来たところなので注意しなければいけない」というお話を聞き、町内会として訓練もしていたし、NEXCO仙台管理事務所に「津波時は東部道路を避難場所にして欲しい」という陳情をしていたが、切迫感はなかった。本当に来るとは思わなかった。
  (2014年3月8日 荒神暁霞目町内会長)

 


(会長さんよりお話を聞く 3月8日)

3.11地震による影響

 地震による堂宇の建物損壊はほとんどなかったが、公会堂は全壊に近い大規模半壊。

①3.11の地震による堂宇の損壊はなかったとのことであった。
しかし、子細にみると、上屋の木製土台のコンクリート基礎固定金具が横方向に2㎝ほどせん断変形しており、大きな水平震動を受けたものと考えられる。

②鳥居の前のお地蔵様は地震のモメント力により真横を向いてしまったが台座より落ちなかったので無事であったとのこと。(写真は修復後)

  固定金具のせん断変形による曲り                   修復後の地蔵様  


③堂宇本体の損傷は少なかったが、境内に併設されている公会堂は土壁作りのもので、全壊に近い状態となった。
この公会堂の建物は元七郷村役場の建物で、村役場閉鎖の時に七郷農協に払い下げられ、農協の事務所として使われていたものであるが、農協事務所の新築にともない、現在地に移設され霞目町内会の集会所として使用されているものです。
3.11の震災時にほぼ全壊に近い半壊になったが、町内会の資金がなかったために建て替えにしないで、仙台市の助成も得て修復して使用している。
地震前は土壁であったが、板壁で修繕した。
                                (2014年3月8日 荒神暁霞目町内会長)

3.11で崩壊した土壁(東側側面)         室内の崩壊           土壁の亀裂と4.7余震での崩落
                (荒神会長よりお借りした写真集より) 

 地震前の土壁の公会堂(2009年1月)                  修理後の板壁の公会堂(2014年3月8日)

 
   

 修理後(ファン周囲)                         修理後(東側側面)