史都・多賀城には、古くから多くの歌に詠まれる枕詞のもととなった名所や旧跡がたくさんあります。
その中でも、今回は「人と水の歴史」をテーマに、多賀城市内の名所を巡りました。
時折小雨降る中でしたが、多賀城市内外から9名方が参加され、多賀城の今昔に思いを馳せました。
開催概要
■日程:2026年10月25日(日)
■時間:10:00 多賀城駅(仙石線)集合〜14:30 国府多賀城駅(東北本線)解散
■参加費:500円(資料・保険代)
【本日の散策ルート】多賀城市観光協会「史都、多賀城(「歌枕コースB」」を参考
訪問地① 興井 沖の石(おきのい)

最初に訪れたのは住宅地の中に残された、池の中の岩に松が伸びる沖の石。積み重なった岩には苔が生え、住宅街の中でも独特の風情がありました。
“わが袖は しほひにみえぬ おきの石の 人こそしらね かわくまぞなき” 『千載和歌集』二条院讃岐
“おきのゐて 身をやくよりもかなしきは 宮こしまべの わかれなりけり” 『古今和歌集』小野小町
などに詠まれる歌枕沖の石は、人に知られないこと、隠れていることのたとえや、水などで濡れていることのたとえとして用いられます。
すぐそばに住む方にお話を伺ったところ、池には今も水が流れ込んでおり、魚もいるとのこと。
東日本大震災の時には、この住宅地も浸水し多くの車が列をなして流れてきたそうです。1週間水が引かず、そんな状況でも沖の石の松は枯れることなく、変わらぬ姿で今もたたずんでいるとのことでした。
訪問地➁ 末の松山(すえのまつやま)

沖の石のすぐ北側、寶國寺にひときわ高く存在感のある松が「末の松山」の2本のクロマツです。
推定樹齢は490年、樹高や約19メートル。
末の松山は、古今和歌集(延喜5=905年成立)に初めて登場していることから、現在の松は何代目かなのでしょう。
“ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつ山 なみこさじとは”『後拾遺和歌集』清原元輔
(約束したのにね お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら 末の松山を波が越すことなんてあり得ないように 決して心変わりはしないと)
「なみこさじ」とは、貞観の地震のときに津波はこなかったことを示しています。
2011年3月11日の東日本大震災の際にも、近くまで津波は押し寄せましたが、末の松山には津波は上がってきませんでした。
訪問地③ 野田の玉川(のだのたまがわ)
訪問地④ おもわくの橋

塩竈市の大日向に源を発し、砂押川に注ぐ小さな流れが野田の玉川。
古来より歌枕として多くの歌に詠みこまれた六玉川の一つです。
“夕されは 汐風越してみちのくの 野田の玉川 ちとり鳴くなり”『新古今集』能因法師
(夕方になると、潮風が吹き越してきて、陸奥の野田の玉川に千鳥の鳴く声がする)
かつてはこの近くまで潮が満ちてきて、みちのくを代表する風情ある景色であったことが分かります。
野田の玉川にかかる8つの橋のひとつが「おもわくの橋」。
待橋とも呼ばれています。前九年の役で知られる安倍貞任がおもわく姫に想いを寄せ、この橋を渡って通ったという伝説が残されています。

野田の玉川では、水質調査(COD)も行いました。
50年ほど前までは雑草が生い茂る小川になってしまい、1992年に市の「水・緑景観モデル事業」で整備され、災害に対処するために護岸がコンクリートや石で固められています。
散歩できるよう親水の観点も導入されていますが、川の中で見えたのはアメンボとザリガニ程度で、生き物の住処としては適しているのか…。
水質検査の結果、バラつきはあったものCOD値としては4程度で、広瀬川調査の下流域よりも高い数値でした。
訪問地⑤ 漏刻(ろうこく)

奈良県明日香村の水落遺跡の発掘調査で発見された遺構から復元されたモニュメントです。
漏刻とは、水が漏れ出るあるいは流れ込む量や、水面の高さの変化を使い、時間を測る古代の水時計のことです。
残念ながら、モニュメントであり漏刻として実際に動いてはいないようです。
訪問地⑥ 浮島(うきしま)

“しほがまの 前に浮きたる 浮島の 浮きて思ひの ある世なりけり”『新古今和歌集』山口女王
(塩竈の浦の前に浮かんでいる浮島のように、心が落ち着かず、つらい物思いの絶えない二人の仲であったよ)
この歌に詠まれた歌枕「浮島」が、いまの浮嶋神社だといわれています。
昔は現在よりも内陸まで潮が満ち、周囲が平地や湿地だったことから、小高い丘が浮島のように見えたのかもしれません。
浮嶋神社の祭神は奥塩老翁神と奥塩老女神の2神。潮流を司る神、航海の神と解釈する説もあります。

史都、多賀城は、人口も増えており近代的な公共施設や東北学院大学跡地の再開発など、新しい都市開発も進む一方、古い史跡も多く残る歴史のまちです。
震災の被害など、古くから水との関りも深い多賀城。
改めて今昔の水への人の思いを巡らせる散策になりました。